
ども、地獄の鬱10年を超えた思考まーくんです。
僕は鬱を10年やって、地獄の底まで見てきたと思っています。
どれほど苦しくても、どれほど願っても、鬱を切り離すことは出来ませんでした。
鬱もまた自分の一部なのです。
心の底から恨んでいた鬱。
鬱を超えるための発信をしている僕が、鬱をどのように捉えて、位置づけて超えたのか。
本質的な部分を解説していきます。
僕は鬱を小さな自分をイメージしています。
鬱は小さな自分。
僕は肩の上に赤ちゃんサイズの自分が乗っているイメージを持っていました。
うつが酷くなる時は、その子が泣き出す感覚です。
何かを伝えようと必死に泣く、小さな自分。
排除するのではなく、抱きしめてあげるのです。
泣き喚いている「その子」に対して、優しい言葉をかけてあげる。
「どうしたの?何を伝えたいの?」と耳を傾けてあげる。
鬱は何かを伝えようとしています。
心の警報機のように。
あなたの鬱はあなたに何を伝えていますか?
排除ではなく、受け入れて愛そう。
うつを治すという表現が苦手です。
僕は鬱は治すものではなく、超えるものだと考えています。
言葉遊びかよ。と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、300時間以上のライブ配信で鬱について様々な方と交流してきましたが、
鬱を寛解している人で、「鬱を治しました!」という人に出会ったことがありません。
みな、それぞれの表現方法はあれど、鬱と付き合っていく、共存していくといった表現の方ばかりです。
僕も鬱を治そうとしていた頃は、むしろ悪化の一途を辿っていました。
何をやっても良くならない。
薬ですら効かない。
本当に孤独で苦しかったことを今でも鮮明に覚えています。
鬱は敵じゃない。味方である。
悪いものとして排除するのではなく、
小さな自分として受け入れ、耳を傾け、愛してあげてください。
そうすればきっと鬱は快方へ向かうでしょう。
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