
ども、地獄の鬱10年を超えた思考まーくんです。
今回は僕の鬱の捉え方について解説します。
鬱という地獄。苦しみ、嫌い、呪う存在か、愛すべき対象か。
そこにどんな違いがあるのでしょうか。
目次
理性と本能から捉える鬱の仕組み
そもそも、鬱は目には見えません。
確かに存在しているのですが、どこにあるのかもどんな姿をしているのかもわかりません。
苦しい思いをさせてくるだけの得体のしれない存在なのでしょうか。
僕は、鬱は「本当に大切なことを伝えてくれる存在」だと考えています。
人間には脳と心があります。
本能と理性。
右脳的思考と左脳的思考。
言い方は様々ですが、つまりは理性と本能です。
本能的に求めるもの。理性的に求めるもの。
この両方が同時に存在していると考えてみると、鬱という存在への理解が深まると考えています。
心=鬱=本能はすごくすごくピュアな存在です。
- 〇〇したい。のような純粋な欲求が本能です。
一方、頭=理性は本能以外の様々な事情を計算する計算機だと考えてみてください。
- 〇〇したいけど、〇〇だから出来ない。
- 〇〇のために〇〇を頑張らなければいけない。
- 社会的な体裁や、普通という呪い。他の人は、、、みんなは、、、。
欲求という純粋な心=鬱=本能の外側に、理性という計算によって算出された思いが覆いかぶさっているイメージです。
鬱は理性で隠している本能的な欲求を叫び続けている。
本能と理性の間で、摩擦が起きているのです。
本能ではこうしたいけど、理性が許してくれない。
本能的に求めているものを理性的に制御している。
その摩擦から心が後回しになってしまい、疲弊し鬱になるのです。
つまり、鬱はあなたの本当の気持ちを代弁してくれているのです。
あなたの鬱はあなたに何を伝えていますか?